ひたすら下道で九州を目指す
観光案内所の記事を書きながら、大昔の貧乏ツーリングの事を思い出した。
学生の頃だから、もう四半世紀も前の事だ。
友人と二人で九州をツーリングした。
当時住んでいた大阪から西へ向かってひとりで走り、広島に住む友人の下宿で一泊。
広島からはその友人と二人で走り、山口を経由して九州へ渡った。
学生の貧乏旅行だから、走る道はずっと下道である。
金はなくても時間はあった。
観光案内所で宿探し
その日はやまなみハイウェイ(当時は有料道路だった。)を走った記憶があるので、
阿蘇付近だったと思う。
スマホも携帯も無く、インターネットという言葉も知らなかった頃の事。
その日の宿を探すべく、駅で観光案内所を探して飛び込んだ。
「とにかく安く泊まれるところを紹介してほしい 」
貧乏学生のリクエストに、観光案内所の係りの人はちょっと考えた後、
「ホントに何もない宿でいいのなら、一軒いいところがあるけど・・・。 周りに何にもないし、食事も普通の食事だよ。」
と一軒の宿を紹介してくれた。
料金は一泊二食つきで、一人2800円だという。
当時の金額としても破格の安さである。(現在の感覚で言うと4000円位かな。)
もちろん僕らは二つ返事でお願いした。
観光案内所の人は
「 本日二人、バイクで行くそうですから。」
と宿に予約の電話を入れると、地図をコピーして赤ペンで印をつけ、丁寧に宿までの道を教えてくれた。
僕らはお礼を言って観光案内所を出ると、バイクにまたがった。
全てがシンプルな格安の宿。実は・・・
本当に何もない山の中腹に、その宿はあった。
白い外壁のシンプルな2階建ての建物で、その外観に飾り気は一切ない。
部屋数は20~30位あっただろうか。
案内された部屋は8畳くらいの畳敷きの和室で、14インチのカラーテレビ(もちろん当時はブラウン管)が一台ある他は全く何もない。
味もそっけもない部屋だが、汚いということはなく、疲れてただ寝るだけのツーリングの宿としては、まったく何の問題もなかった。
疲れて大の字になった友人を部屋に置いて、ひとり大浴場(といっても、5人も入ればいっぱいになるような風呂だったが)へ。まだ誰もいない湯船につかって、旅の疲れを癒していると、後から入ってきた中年のおじさんが話しかけてきた。
「珍しいなあ、あんたみたいな若いのがこんな所に泊まってるなんて。よくこんな宿見つけたなあ。」
という。
僕はおじさんに、学生二人の貧乏旅行でバイクで大阪から来た事、観光案内所でとにかく安く泊まれるところ、と聞いたらここを紹介してくれた事、などを話した。
「へえ、バイクかあ。なるほど、観光案内所がねえ・・・。
あんた、この宿どういう宿か知ってるか?」
聞けばこの宿は、観光バスの運転手とバスガイドが泊まる宿なのだそうだ。
もちろん、普通の宿なので、一般の人が泊まってもいいのだが、宣伝など一切していないので、ほとんど業界の人間しか泊まりに来ないらしい。
そのおじさんも観光バスの運転手だと言っていた。
どうりで安いのも納得がいった。
バスガイドのお姉さんにお酌され
夕食は大広間に用意されていた。この日の夕食はすき焼きだった。
特に豪勢でもない、ごく普通のすき焼きだったが、結構おいしく、宿代を考えれば充分な味とボリュームだった。
広間には机が十卓くらい並んでいて、それぞれに男性と女性が一人づつ、ペアで座って鍋をつついていた。 どうやらそれぞれバスの運転手とバスガイド、という事らしい。
隅っこの机で友人と二人、すき焼きをがっついていると、「よお!」と隣の卓のおじさんに声かけられた。
さっき風呂場で一緒になった運転手のおじさんだ。
「よかったら、こっちへ来て一緒にビールでも飲まないか?」
僕と友人はお言葉に甘え、ご相伴にあずかる事にした。
おじさんの向かいにも女性が一人。おじさんのバスのバスガイドさんだった。
バスの運転手とバスガイドは大抵ペアが決まっていて、同じ組であちこちの観光地へいくんだそうで、宿でもこうして一緒に食事をすることが多いらしい。
(当時の話。今はどうなんだろう。)
一緒にいる時間が長いので、やはり親密な関係になるらしく、運転手の嫁さんは大抵、元バスガイドなんだそうだ。
・・・なんて話をして盛り上がっていると、周りで食べていた人たちも、なんだなんだと集まってきた。
皆さんバスの運転手&バスガイドで、会社は違ってもお互い顔見知りらしい。
やがてちょっとした宴会のようになった。
僕と友人は、”妙齢の”バスガイドさんたちに囲まれ、代わる代わるお酌をされた。いつもおんなじ顔ぶれで飲んでいるお姉さんたちにとって、僕らは格好の相手だったのだろう。
さんざん飲まされ、旅の疲れもあって、早々に酔いつぶれた。
今思えば、きっと、その当時のぼくらとそんなに大した年の差はなかったんじゃないだろうか。・・・明らかに大差ある” 大お姉さま ” もいたけれど。(笑)
観光案内所ならではの宿、ネット全盛の今の時代ではなかなか経験出来ないであろう、貴重な経験だった。
今も心にのこる楽しい旅の思い出である。